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【高齢者向け】私は誰でしょうクイズ!歴史上の人物当て連想問題【簡単10問】
第1問
- 私は1835年に豊前中津藩の下級武士の家に生まれました。
- 私は9歳のときに長崎で蘭学を学び、海外にも行ってさまざまな文化に触れ、早稲田大学などの設立にもかかわっています。
- 私が書いた書籍の代表作は「学問のすすめ」で、私は1万円札の顔にもなっています。
第2問
- 私は愛知県の生まれで、幼少期は織田家や今川家の人質となりました。
- 1560年の織田信長と今川義元との合戦「桶狭間の戦い」で織田信長が勝利したことで、私は自由の身になりました。
- 私は約200年も続いた江戸幕府を開きました。
第3問
- 私は医師であり、細菌学者です。
- 私はアメリカではヘビの毒の研究をして、この研究の論文で私の名前も世に知られるようになりました。
- 私はアフリカでは黄熱病の研究をしていましたが、感染してしまい命を落としました。
第4問
- 私は1日で40~50km程度歩いて旅をしていたことから、現代では江戸幕府のスパイではないかという噂があります。
- 私は1644年に現在の三重県に生まれ、18歳で伊賀の国を治める藤堂良忠に仕え、同じときに北村季吟から俳諧を学びました。
- 私は俳人で、代表作には「奥の細道」があります。
第5問
- 私は「鬼道」と呼ばれるまじないによって国を治めていました。
- 私は国を治めていましたが人前に出ることはなく、一生独身だったので、弟などが皆に私の意思を伝えていました。
- 私が治めていた国は邪馬台国です。
第6問
- 私は役人や豪族が正しい行動ができるようにと「十七条憲法」を定めました。
- 私は役人が家柄で不適合な仕事につかないように、能力によって配属される「冠位十二階」という制度をつくりました。
- 私が一度に10人が話した内容を理解した、2歳の頃には念仏を唱えたという伝説が今でも残っています。
第7問
- 私は身長が180cm程度と大柄で、織田信長や豊臣秀吉に仕え、信頼が厚かったので政治に関する発言することもありました。
- 私はお茶の様式である「侘び茶」を確立させました。
- 私は豊臣秀吉に切腹を命じられましたが、動じることもなく、切腹を伝えに来た使者にお茶を出してから自害しました。
第8問
- 私は1835年に土佐国に生まれ、27歳の頃に脱藩して勝海舟の弟子になりました。
- 当時、仲が悪かった薩摩藩と長州藩を私が仲介をして薩長同盟の成立に貢献しました。
- 私は京都にある近江屋で暗殺されてしまいました。
第9問
- 私は平安時代の女流作家です。
- 一時期、私が藤原道長と愛人関係にあるのではないかと噂も流れました。
- 私の書いた「源氏物語」は世界中で翻訳されており、世界でも最古の長編恋愛小説と言われています。
第10問
- 私は1760年に現在の東京都墨田区に生まれ、88歳まで生きました。
- 私は4歳の頃に鏡職人の養子となり、18歳で浮世絵師に弟子入りをして絵を学びました。
- 私の作品には、「富嶽三十六景」「富士越龍図」などがあります。
【高齢者向け】私は誰でしょうクイズ!歴史上の人物当て連想問題【難問10問】
第11問
- 私の父は清原元輔、祖父は清原深養父であり歌人として有名な家系に生まれました。
- 私は第66代天皇「一条天皇」の妻・定子の教育係をしていました。
- 私は女流作家で、代表作は宮中で起きたことを私の視点で書いた「枕草子」です。
第12問
- 私は1828年に薩摩国で生まれ、島津斉彬に仕えました。
- 坂本龍馬が仲介してくれたことで、私は犬猿の仲の長州藩と薩長同盟を結ぶことができました。
- 私は明治維新を成し遂げましたが、その後明治政府に反乱を起こして敗北しました。
第13問
- 私は1534年に尾張国の武士の子として生まれ、子供の頃の名前は吉法師(きっぽうし)です。
- 「美濃のマムシ」とも呼ばれた斎藤道三は私の義理の父です。
- 私の夢は天下統一でしたが、部下だった明智光秀に裏切られて叶いませんでした。
第14問
- 私は774年に今の香川県で生まれ、30歳には中国で密教を学びました。
- 密教の道場を開きたいと考えた私は、816年に朝廷より高野山を下賜されます。
- 私の死後、私は醍醐天皇から弘法大師という名を与えられました。
第15問
- 私は、1848年1月27日に薩摩国に生まれました。
- 私は日清戦争では防護巡洋艦「浪速」の艦長、日露戦争では連合艦隊の司令官を務めました。
- 私の死後には、東京都と福岡県に東郷神社が建立されました。
第16問
- 私は第45代天皇です。
- 父は私が7歳のときに亡くなり、私が大人になるまでは祖母と伯母が天皇として即位しました。
- 私は仏教を信仰し、人々が平和に暮らせるようにと、国分寺や東大寺、東大寺の大仏をつくらせました。
第17問
- 私は1584年に生まれ、剣豪、兵法家、芸術家の3つの顔があります。
- 私の兵法の極意を記した全五巻の「五輪の書」を残しています。
- 私は現代では最強の剣豪と知られ、佐々木小次郎との巌流島の戦いは今でも語り継がれています。
第18問
- 私は1728年に今の香川県に生まれ、24歳には長崎で本草学や医学・油絵やオランダ語などを学びました。
- 土用の丑の日には鰻を食べるようになったのは、私の発案によるものです。
- 私は38歳のときには鉱山開発をしていましたが、このときに壊れていた発電機エレキテルの修理をしたことで有名になりました。
第19問
- 私は845年に今の奈良県に生まれ、幼少期は周りから神童と呼ばれていました。
- 私は遣唐使の大使でしたが、当時の唐は内乱が続いていて派遣は命がけになることから、894年に遣唐使の中止を天皇に提案しました。
- 私は今の大学教授のような地位の文章博士にまでなり、現代では学問の神様として祀る神社もあります。
第20問
- 私は子供のころジフテリアが原因で上手く言葉が話せなくなり、よくいじめられましたが、浪花節を練習したことで吃音(きつおん)を克服しました。
- 私は新潟県出身であり、総理大臣を務めたことがあります。
- 私は、1976年にロッキード事件で逮捕されて自民党を離党しました。
【高齢者向け】私は誰でしょうクイズ!歴史上の人物当て連想問題【おまけ10問】
第21問
- 私は尾張国出身であり、18歳頃から織田信長に仕えていました。
- 私は「刀狩令」を発令して兵農分離に成功しました。
- 私は織田信長から「猿」と呼ばれていたというエピソードが有名です。
第22問
- 私は商人の家の生まれですが、治水工事なども行ったことから幕府からも評価されていました。
- 私は50歳の頃、20歳も年下の天文学者に弟子入りして天文学を学びました。
- 私は自らの足で日本全国を歩いて測量をし、日本地図を完成させました。
第23問
- 私は倹約のため、大奥の女中を大量に解雇しました。
- 私は幕府の財政を立て直すために「享保の改革」を行いました。
- 私は大人気時代劇「暴れん坊将軍」のモデルになりました。
第24問
- 私は吉田松陰の「松下村塾」で様々なことを学びました。
- 私は長州藩の攘夷志士として活躍しました。
- 幕府と戦うために私が組織した「奇兵隊」は、現在でも有名です。
第25問
- 私が女性からモテていたというエピソードは、今でも有名です。
- 私は「五稜郭の戦い」で命を落としました。
- 私は新選組の「鬼の副長」と呼ばれていました。
第26問
- 私は幼い頃より豊臣秀吉に仕えていました。
- 朝鮮出兵の際、私が虎を退治したエピソードは有名です。
- 私は当時の最先端技術を駆使し、熊本城を完成させました。
第27問
- 私は豊臣秀吉に仕えた軍師です。
- 私は謀反を起こした荒木村重を説得しようとして村重に捕らえられたことがあります。
- 私は「本能寺の変」の知らせを聞いた豊臣秀吉に、「明智光秀を討つ」ように進言しました。
第28問
- 私は「実業界の父」や「日本資本主義の父」とも呼ばれています。
- 私は生涯で約500もの会社設立と経営に携わり、その会社のいくつかは現在でも有名な企業です。
- 私は日本初となる銀行をつくりました。
第29問
- 私は長州藩に生まれ、明治維新のために奔走しました。
- 私は「五箇条の御誓文」の作成に携わりました。
- 「池田屋事件」が起こった時間、私は対馬藩邸に居たため難を逃れました。
第30問
- 私は岩手県稗貫郡花巻川口町(現:花巻市豊沢町)で生まれました。
- 私は童話作家ですが、私の作品が有名になったのは私の死後からでした。
- 「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「セロひきのゴーシュ」などが私の代表作です。
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