
博士
今回は江戸時代おもしろ雑学クイズを紹介するぞ!全問正解目指して頑張るのじゃ。
【江戸時代おもしろ雑学クイズ】楽しく学べる!簡単&難しい3択問題【前編10問】


博士
まずは10問出題するぞぉ!選択肢の中から正解だと思うものを一つ選ぶのじゃ。
第1問
暴れん坊将軍のモデルにもなった人物と言えば誰でしょうか?
1.徳川吉宗
2.徳川家茂
3.徳川綱吉
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1.徳川吉宗
暴れん坊将軍のモデルになったのは、8代将軍の徳川吉宗です。
家康の曾孫にあたる人物であり、「享保の改革」を行ったことでも知られています。
第2問
徳川光圀(水戸黄門)は、日本で初めてある食べ物を口にした人物だという説がありました。
それはなんでしょうか?
1.ハンバーガー
2.すき焼き
3.ラーメン
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3.ラーメン
徳川光圀は、日本で初めてラーメンを食べた人物であるという説がありました。
しかし近年、室町時代の僧侶が来客にラーメンに当たる料理を振舞ったという記述が発見されました。
その記述が本当にラーメンを指すものだった場合、光圀は日本初では無くなりますが、ラーメンはかなり長い間身分が高い人しか食べられない高級品であったことの証明にはなるでしょう。
第3問
徳川家の中で最も在位が長かったのは、第11代将軍の徳川家斉です。
その在位期間は何年だったでしょうか?
1.約10年
2.約30年
3.約50年
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3.約50年
徳川家斉は、1787年から1837年までの約50年間、将軍の地位にあり続けました。
2番目に長い8代将軍の吉宗でも約29年であることから、いかに家斉の在位期間が長いかよく分かります。
ちなみに、徳川家最後の将軍である慶喜は大政奉還があったことから在位期間は約1年と最も短くなっています。
第4問
武士と言えば「ちょんまげ」ですが、なぜあのような髪形になったのでしょうか?
1.ちょんまげの形が刀に似ていて気合が入るから
2.兜をかぶった時に頭が蒸れないようにするため
3.立派なちょんまげの武士ほどかっこいいとされていたから
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2.兜をかぶった時に頭が蒸れないようにするため
ちょんまげは、頭頂部の髪の毛を剃って残った髪の毛を結び、植物油で固定することで形を保っています。
頭頂部の毛を剃ってあのような形にすることで、蒸れを防ぐ効果があったとされています。
第5問
大名行列の前を横切っても罰せられない職業がありました。
それはなんでしょうか?
1.産婆
2.刀鍛冶
3.漁師
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1.産婆
江戸時代は、現在のような発達した医療技術や設備はありません。
出産は命懸けの出来事であり、武士たちもそのことは重々承知していました。
そのため、産婆は大名行列の邪魔をしない範囲であれば大名行列の前を横切ってでも現場に駆け付けることが認められていました。
第6問
「飛脚」とは、現在の職業に例えるならどんな職業だったでしょうか?
1.家庭教師
2.救急救命士
3.郵便局員
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3.郵便局員
飛脚は、現在でいう郵便の役割を果たしていた職業です。
幕府は各宿場に飛脚を設置し、公用の手紙や荷物をリレー形式で目的地まで届けていました。
ちなみに…飛脚も大切な荷物をいち早く届ける必要があったため、産婆と同じく大名行列の邪魔をしない限りは前を横切ることが認められていました。
第7問
時代劇「水戸黄門」では、印籠を出すシーンが印象的です。
では、その印籠の意外な使い道はなんでしょうか?
1.薬入れ
2.水筒
3.免許証
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1.薬入れ
時代劇の水戸黄門においては、家紋が入った印籠は光圀の身分を証明するこの上ない証拠です。
家紋が入った印籠はその人の身分を示すものであることに間違いはありませんが、一般的な印籠は薬を持ち運ぶための小型の入れ物でもありました。
それ以前には印鑑を入れるケースとして活用されていたようです。
第8問
江戸時代、ある意外なものが高額で取引されていました。
それはなんでしょうか?
1.身分が高い人の排泄物
2.身分が高い人の食べ残し
3.身分が高い人の髪の毛
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1.身分が高い人の排泄物
江戸時代、人の大便が肥料として活用されていました。
その中でも身分が高い人の大便は高額で取引され、逆に庶民や罪人の大便は安価で取引されていました。
第9問
江戸時代、身分の高い女性の傍についてあることをする仕事がありました。
それはなんでしょうか?
1.ナンパしてきた男を追い払う
2.オナラをした時に身代わりになる
3.庶民の親子のフリをしてお忍びで町に出かける
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2.オナラをした時に身代わりになる
江戸時代、人前でオナラをするのは現在以上に恥ずかしいこととされていました。
大事な席でオナラをしてしまい人前に出られなくなってしまったり、自ら命を絶ってしまった人もいたそうです。
そんな中活躍するようになったのが「屁負比丘尼(へおいびくに)」と呼ばれる女性の使用人です。
身分の高い女性が人前でオナラをしてしまったら、「すみません私がやりました」とすかさず名乗り出て自分がオナラをしたことにする役割がありました。
普段は身の回りの雑用をこなすなど、信頼されるポジションにあったとされています。
第10問
江戸時代、「損料(そんりょう)屋」というお店が人気でした。
現在で言えば何に当たるお店でしょうか?
1.ファーストフード店
2.美容室
3.レンタル用品店
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3.レンタル用品店
江戸時代は、様々な日用品のレンタルを行う「損料屋」というお店が人気でした。調理器具や衣服など、様々なものが扱われていました。
その中でも意外な人気商品が褌(ふんどし)です。
江戸時代は現在よりも布が貴重で高価であったため、褌も高級品で普段から身に着けている人はあまり居なかったそうです。
現在の価格に換算すると、1つ5000~6000円程というビックリするような価格です。
そのため、普段は下着を身に着けていない人が多かったそう。祭りで着物の裾をたくし上げる必要がある時などには、褌を持っていない人が褌のレンタルを利用していたと言われています。
【江戸時代おもしろ雑学クイズ】楽しく学べる!簡単&難しい3択問題【中編10問】


博士
前編10問はどうじゃったかのう?まだ物足りないという人は、次の10問にも挑戦してみるのじゃ!
第11問
江戸時代、とある正月の遊びが禁止されたことがありました。
それはなんでしょうか?
1.凧揚げ
2.コマ回し
3.カルタ
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1.凧揚げ
江戸時代、凧は「いかのぼり」と呼ばれていました。
いかのぼりをする人が多かったことから、いかのぼり同士がぶつかり落下する事故や喧嘩に発展するなどのトラブルも多発していたようです。
それに対応するため、幕府はいかのぼりを禁止しましたが、「これは『いか』ではなく、『たこ』だと」屁理屈をこね、禁止令を破る者が現れました。
そこから現在の「凧」という名前が定着していきました。
第12問
江戸時代には既に使われていた言葉はなんでしょうか?
1.バズる
2.イケメン
3.ヤバい
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3.ヤバい
ヤバいは、「不都合な状況が予想されるさま」を指す言葉です。
その語源には諸説ありますが…、牢屋の看守が「厄場(やば)」と呼ばれていたことから、江戸時代の犯罪者が捕まりそうになることの隠語として「ヤバい」という言葉を使っていたと言われています。
第13問
江戸時代の武士たちが海外のある場所で撮影した写真が残されています。
それはどこでしょうか?
1.エジプトのスフィンクス
2.アメリカの自由の女神
3.オーストラリアのエアーズロック
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1.エジプトのスフィンクス
スフィンクスの前で写真撮影を行ったのは、幕府がヨーロッパへと派遣した「第二回遣欧使節団」のメンバーたちです。
彼らは上海に上陸して陸路でヨーロッパに向かう際にエジプトを経由し、その時にスフィンクスの前で写真を撮影しました。
見るからに侍といった格好の男たちがスフィンクスの前に立っているという予想外な写真は一見の価値ありです。
第14問
初めて日本地図を作った人物である「伊能忠敬」。
彼が測量の旅を始めた時、何歳だったでしょうか?
1.21歳
2.34歳
3.55歳
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3.55歳
伊能忠敬(いのう ただたか)は隠居後の55歳から測量の旅に出て、約17かけて各地を歩き回り日本地図を完成させました。
隠居してから勉強をし、新しいことに挑戦するというかなりの行動力の持ち主だったと言えます。
第15問
新選組の副長、土方歳三は親戚にあることを自慢した手紙を送っています。
その内容はなんでしょうか?
1.自分の剣の腕前が一流であること
2.自分がモテるということ
3.部下に慕われているということ
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2.自分がモテるということ
土方歳三は、イケメンであり女性たちからかなりモテていたようです。
実際に自分がモテるという自慢話を書いた手紙を、自分の義兄弟に当たる人物に送っています。
その手紙は今も残っており、「鬼の副長」と恐れられた人物の意外な一面だと言えるでしょう。
第16問
武士は寝ている時、利き腕を下にして寝返りを打たないようにしていたとされています。
その理由はなんでしょうか?
1.当時の健康法として信じられていたから
2.寝込みを襲われた時に備えていたから
3.風水的にその方が良いと信じられていたから
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2.寝込みを襲われた時に備えていたから
人間は寝ている間に無意識に寝返りを打ってしまうものです。
しかし、武士は利き腕を下にした状態で寝返りを打たないよう子どもの頃に躾けられたとされています。
当時の武士は寝ている間に襲撃を受ける可能性があり、利き腕が上になっている状態で寝ていると利き腕を切られて戦えなくなってしまいます。
一方、利き腕が体の下になっていれば寝込みを襲われたとしても、最悪の場合反対側の腕を犠牲にしてでも利き腕を守ることができます。
冷静になって考えると利き腕を下にして寝ていたら、いざ襲撃された時に腕が痺れてすぐに刀を振るえない…なんてこともありそうですね。
第17問
第8代将軍徳川吉宗は幕府の財政を立て直すために、大奥の人員整理を行いました。
どんな人がリストラ対象だったでしょうか?
1.料理が下手な人
2.自分の好みではない人
3.美人
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3.美人
徳川吉宗は、大奥の人員を整理する際に美人をリストラの対象に選んでいました。
その理由は「美人なら大奥を出ても嫁の貰い手がある」というものでした。
経費削減のためではありますが、そのような理由であればリストラ対象になった女性たちのプライドを傷つけずに済みます。それどころか、寧ろ将軍が認めた程の美人という証拠でもありました。
また、大奥は大きな影響力を持っていたためその力を削ぐという狙いもありました。
第18問
江戸時代、日本で世界初となる全身麻酔による手術が行われました。
その病名とはなんでしょうか?
1.脳梗塞
2.乳がん
3.白内障
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2.乳がん
世界初の全身麻酔を開発したのは、「華岡青洲(はなおかせいしゅう)」という江戸時代の日本人医師です。
彼は動物で実験を行いながら、「通仙散(つうせんさん)」という薬を開発しました。これが現在でいう麻酔です。
薬が開発できたとは言え、手術に用いるためには人体への安全性を確かめる必要があります。そこで、彼の母と妻が実験台に志願しました。
彼も最初は家族を危険に晒すのには乗り気ではなかったようですが、その熱意に負けて実験を始めます。
しかし、副作用によって彼の母は死亡し、妻は失明してしまいます。その後の彼は自分自身の体を使って実験を重ね、約20年もの歳月をかけて「通仙散」を完成させました。
そして1804年、「通仙散」を使った乳がんの手術を成功させました。
第19問
時代劇「大岡越前」でもお馴染みの大岡忠相は、ある病気に悩まされていました。
それはなんでしょうか?
1.痔
2.虫歯
3.糖尿病
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1.痔
大岡忠相が書いた「大岡越前守忠相日記」には、彼が痔に悩まされていた旨が記載されています。
朝、激痛によって目が覚めるとお尻から出血していたことがあったのだとか…、考えただけでも痛そうですね。
第20問
江戸時代の将軍直属の隠密の名前はなんでしょうか?
1.新選組
2.人斬り
3.御庭番
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3.御庭番
御庭番は、第8代将軍徳川吉宗が設置した幕府の役職です。
表向きは警備を職務とする人員として働き、いざという時は将軍からの命令を受けて密かに諜報活動を行っていました。
【江戸時代おもしろ雑学クイズ】楽しく学べる!簡単&難しい3択問題【後編10問】


博士
中編10問はどうじゃったかのう?「まだまだ!物足りない!」という方は、次の10問にも挑戦してみるのじゃ!
第21問
「薬品応手録」という書物で薬として紹介された飲み物はなんでしょうか?
1.コーヒー
2.オレンジジュース
3.ロイヤルミルクティー
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1.コーヒー
シーボルトが書いた書物「薬品応手録」には、ヨーロッパで常用されている薬草とその代用品について記されています。
その中でコーヒーは「骨喜」と表記され、健康に良い飲み物として紹介されていました。
これがきっかけとなり日本でコーヒーの存在が知られるようになったと言われています。
第22問
浮世絵師として有名な葛飾北斎の娘、お栄。
彼女はとある分野で歴史に名を残しています。
正しいものはどれでしょうか?
1.医者
2.陶芸家
3.浮世絵師
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3.浮世絵師
北斎の娘であるお栄は、「葛飾応為(かつしかおうい)」という画号の浮世絵師として歴史に名を残しています。
その腕前は北斎が「美人画では娘にはかなわない」と言ったほどだとされています。
第23問
徳川家康が使っていたと言われるものはなんでしょうか?
1.車いす
2.入れ歯
3.補聴器
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2.入れ歯
徳川家康は、入れ歯を使っていました。
当時の入れ歯は仏師(仏像を彫る職人)がロウで型を取って、ツゲの木を削って作っていました。
第24問
江戸時代にあった職業「三助」。
どのような場所で働いていたでしょうか?
1.大名の屋敷の厨房
2.牧場
3.銭湯
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3.銭湯
三助は、江戸時代の銭湯で働く男性従業員です。
釜焚きなどの雑用全般をこなすほか、一定以上の経験を積んだ三助は客の背中を流す仕事もしていました。
三助は女性の背中も流していたため、イケメンの三助は女性客からの人気が高かったそうです。
第25問
古河藩4代藩主は、あるものの観察に非常に熱心だったそうです。
それはなんでしょうか?
1.雪の結晶
2.魚の鱗
3.昆虫の羽
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1.雪の結晶
土井利位は雪の結晶の観察に非常に熱心であり、日本初の雪の自然科学書「雪華図説」を出版しました。
この書物は江戸で人気だったそうです。
第26問
影武者について間違ったものはどれでしょうか?
1.本物の死を隠すために活躍した
2.本物とそっくりな人間だけが影武者になれた
3.本物とは顔が似ていない影武者もいた
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2.本物とそっくりな人間だけが影武者になれた
影武者は身分が高い人の身代わりになるだけではなく、その人物の死や重病を防ぐために本物が健在であるかのように見せかける役割もありました。
また、江戸時代は現在のような写真は無かったため身分の高い人の顔を誰もが知っているというわけではありません。
実際にそっくりな影武者もいたようですが、衣服や武具で本物のように見せかけただけで顔は似ていない影武者もいました。
第27問
この中で既に江戸時代にあったと言われているものはなんでしょうか?
1.競馬
2.パチンコ
3.宝くじ
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3.宝くじ
江戸時代には「富くじ」と呼ばれるものがあり、現在でいう宝くじのようなものです。
現在の価格でいうと一口2万円くらいであり、最高当選額は約1800円だったそうです。
そのため、庶民は複数人で共同出資して買っていました。
第28問
1821年、とある動物の夫婦がやって来て人気を集めていました。
その動物とはなんでしょうか?
1.キリン
2.ダチョウ
3.ラクダ
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3.ラクダ
1821年、ラクダの夫婦がオランダ船によって日本にやって来ました。
その2匹の仲が良かったことから「見ると夫婦円満になる」とも言われ、多くの見物客が訪れたそうです。
第29問
江戸時代に庶民の間で話題になった「日々徳用倹約料理角力取組」とはどんなものだったでしょうか?
1.庶民に人気のおかずがまとめられていた
2.庶民に向けた節約レシピがまとめられていた
3.庶民に人気の飲食店がまとめられていた
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1.庶民に人気のおかずがまとめられていた
「日々徳用倹約料理角力取組」とは、江戸の庶民たちが好んで食べていたおかずが相撲の番付のようにまとめられたものです。
それが庶民の間でウケて、他の食べ物に関する番付も作られるようになったほどです。
第30問
江戸時代、イモリの黒焼きが薬として扱われていました。
どんな薬だったでしょうか?
1.便秘薬
2.惚れ薬
3.風邪薬
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2.惚れ薬
江戸時代、イモリの黒焼きは惚れ薬として扱われていました。
オスのイモリの黒焼きを自分にふりかけ、メスのイモリの黒焼きを好きな相手にふりかけると互いに惹かれ合うとされていました。

博士
今回のクイズ問題は以上じゃ!君は何問解けたかな?
このサイトではいろんな脳トレクイズを紹介しているから、ぜひ他のクイズにも挑戦してみるのじゃ!